コロナ禍がもたらした倫理観の踏み絵

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 4月から9月まで医学の講義はオンラインでしたが後期に入り少数での対面での授業も多少は行われるようになりました。この半年に考えたことを、まとまりませんが綴ってみます。

 コロナ禍は、多少なりとも密集・密接した状態で人と接することに抵抗感をもたらしました。外出自粛中はリモート飲みがズームアップされ、私も離れた友人たちと夜通しZoom飲みを繰り返したものです。これらの産物は逆に人々が”密”となって接することの重要性?のような感情を思い起こさせてくれたと思います。
 コロナ禍で我々に課せられたのは他人を感染していると仮定して他人に触れてはならないという倫理のようなものです。本来、空間の共有をもって人は親密になっていきます。新たなコミュニティに属して席がたまたま近かった人と最後まで親しくするという経験は誰しも持っていると思います。それが禁じられた大学新入生はオンラインで友人を作ろうと言われても中々難しいですよね。9月から対面での授業が1年生も講義室で受講している姿を見ましたが、休み時間ににこやかに話している姿が印象的でした。
 この”密”を避けるべきという倫理観への反動も徐々に生まれてきているのも感じています。これは人々の間の分断も生んでいると思います。それは”罪”の意識です。
 「ウイルスは飛沫や接触感染によりうつるので人々と会わないようにしましょう、三密を避けましょう、2メートル以上の距離を保ちましょう。」という感染回避の医学的要請が人々の倫理観の踏み絵のように思えます。この掟を破り旅行やBBQ、飲み会に出かけたものは”罪”を犯したように感じる。そして感染者は何らかの”罪”を犯したのだろうと人々の心の多くでは思ってしまう。そんな風潮が生まれたように思います。有名人のコロナ感染者が謝罪するというのもよく見る光景です。
 そして、これはいつからか形骸化してきてもいます。テレビでは換気せずに空間は共有してもとりあえず透明なアクリル板で仕切れば良い、マスクではなくフェイスシールドをつければ良い、なんだか医学的な根拠ではなく倫理的な要請を守っているよというアピールに見えます。こんな姿に倫理観の踏み絵を思ってしまったのです。

 今後どのように推移していくかは予想は困難ですが、治療法が確立するまではまだまだ難しい状態が続きそうです。医学生としてのモラルも求められますのでしっかり対策しながら日々生活していきたいと思います。気兼ねなく地元の友人と語らえるのはまだまだ先になりそうです。

 

 
 

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